Dear Prudence

哲学専修B4 間違いがあればご指摘いただけると幸いです。

アリソン「人間の認識の感性的条件」(5)「人間の認識の知性的条件」(1)『カントの超越論的観念論: 解釈と擁護』第5-6章

  • Allison, Kant's transcendental idealism: an interpretation and defense (pp. 130-142).

(3) 秩序には二つのタイプがある。第一は表象の秩序presentational order、すなわちそこにおいて心が所与を直観において受容する秩序である。第二は比較的秩序comparative orderであり、属性や質を含む。時空的秩序は表象の秩序であり、物自体の秩序は内的属性の比較的秩序である。[したがって両者は根本的に異なるのであって、類似性を有しない。]

第6章 人間の認識の知性的条件:カントの形而上学的演繹

[形而上学的演繹の概要]

人間の認識の知性的条件とは、悟性の純粋概念を意味する。純粋悟性概念=カテゴリーが経験の可能性の必要条件であるということの証明は、超越論的演繹のタスクである。その前にカントはそうした概念が存在するということを証明し、またそれらを特定する(形而上学的演繹)。カテゴリーを思考の論理的機能に接続するにあたってカントは、カテゴリーの、論理的思考の根本的形式としての資格を確立することと、彼のリストの完全性を証明することとの両方を試みた。このプロジェクトの鍵は論弁的思考を判断と同定することにある。そうしたものとしての判断の働きがカテゴリーと連結していることを見ることによってカテゴリーの特別の身分を解することが可能になり、また判断の形式の網羅的な説明を提供することによってカテゴリーの完全性を保証することが可能になる。

[二つの批判と本章の構成]

この箇所に対する批判は大きく二つに分けられる。第一は論理的形式の表の完全性についてである。この表にはいかなる体系的原理もないと非難される。第二は判断の形式からカテゴリーへの移行に関わる。ストローソンは次のように論じる。カテゴリーを生み出すためには、論理的形式は単に可能的な形式ではなく必然的で根本的な形式を表現しなければならない。ところが、現代論理学において、ある論理体系においてプリミティブとみなされる形式は好みの問題にすぎない。また、真に根本的な観念は真理関数的合成truth-functional compositionと量化である。しかしこれらはカテゴリーの源泉ではない、と。

第一の批判を1節で、第二の批判を2・3節で扱おう。

1 完全性の問題

A 標題の完全性

[問題となっているのは論弁的判断である]

カントが念頭に置いているのは特定の判断である。すなわち対象を概念によって規定する判断(「悟性の判断」「論理的判断」)である。判断と論理的思考との結合にてらして、これらを論弁的判断と呼んでも良いだろう。これらは三段論法の前提たりうる全ての判断を含むが、概念にではなく概念の構造に依存する非論弁的判断――例えば数学的判断や指標詞や固有名を含む判断など――は除外される 。

[機能の諸相]

さて、A69-70にかけて、「機能」の意味するところを各々の箇所で押さえておこう。

一、「判断における悟性の論理的機能」(A70/) これは超越論的論理学の関心である実在的機能との対比において、一般論理学において分析される機能を意味する。

二、「悟性の機能」(A69/) これはカントが規定しようとしているもの〔カテゴリー〕であり、判断の論理的機能、すなわち対応する形式の判断において働いている概念化の形式のことである。

三、「判断における統一の機能」(A69/) これは二と相関的に、判断表で提示されるものである。

四、「判断における思考の形式」(A70/) これはあらゆる論弁的判断において現れる思考の類的機能の明細specificationのことである。

[下位機能の諸相]

それぞれの下位機能をみておこう。量は、外延を定義する。つまり判断の述語の作用域を規定する。質は、主張をなす。関係は、判断が含む二つの表象の関係を規定する。様相は、特定の判断と一連の知識との関係に関わる。すなわち判断の認知的価値(繋辞の価値)に関わる。この機能は、判断を、前提された知識の体系に統合する。

B 各々の表題の諸契機の完全性

契機の三分法については循環の問題が指摘される。一般論理学における判断の契機をもたらすために超越論的論理学に訴えることは循環である、と。しかしこれは悪性ではない。ここでは質と関係についてのみ見ておこう。

質。一般論理学において肯定性と無限性との区別が無用であるということは、この区別が引かれえないということを意味しない。そして、実際のところは引けるのである。例えば「無生物は死すべきものではない」という肯定判断は真だが、「無生物は不死なるものである」という無限判断は偽である。

関係。 連結判断(一つの主語に対して二つの述語、あるいは一つの述語に対して二つの主語をもつ判断)が除外されているように見える。しかし関係機能のタスクは、諸要素を条件と条件づけられたものとの関係において結合することであって、しかもこの結合は初めて〈判断のあるいは認知的な単位〉すなわち肯定あるいは否定されうる命題を構成するのでなければならない。しかし連結判断によってはその要素は既にして命題である。それゆえこうした連結は思考の別個の契機にはあたらない。