Dear Prudence

哲学専修B4 間違いがあればご指摘いただけると幸いです。

シュルティング「形象的総合,空間の統一性,知覚的知識の可能性」『カントの徹底した主観主義』第7章(1)

  • Schulting, D. 2017. Kant’s Radical Subjectivism: Perspectives on the Transcendental Deduction. Palgrave Macmillan. 295-312.

7 形象的総合,空間の統一性,知覚的知識の可能性

7.1 導入

形象的総合の一般的役割については多くの解釈が存在するが,いかにして形象的総合が知覚の可能性を正当化するかということは(Friedman 2012は例外として)ほとんど検討されてこなかった。私は,形象的総合と諸空間の規定との関係に的を絞って,後者の問題を扱いたい。

7.2 超越論的演繹〔以下「演繹論」〕でのカントの目標

演繹論は,S経験(我々のうちに感覚を引き起こす・それゆえ我々の心に対して外的に実在する経験的に実在的な対象についての経験)のみならず,とC経験(カテゴリーに服する経験すなわち「あらゆる我々の対象の総括」)が存在するという仮定――すなわち総合的アプリオリな主張が一般に為されているという事実――に基づいている,と私は解する。

7.3 「二段階」手続きについての若干の考察

演繹論の目標は,空間的多様の統一がカテゴリー的統一に符合していることを示すことであって,両統一が質的に同一であるということではない。

[問題は,受容性そのものではなく,(幾何学的知識を可能にする)時空的に規定された個別者たちの統一的直観である]

B146-7でカントが述べるところからして,受容性そのものあるいは受容性の形式=時空ではなく,純粋直観の(経験的直観のではなく)規定による(幾何学における)可能なアプリオリ知識が問題であるということは明らかである。カテゴリー的規定は〈いかにして経験的直観が必然的に空間内で直接的に与えられるか〉という問いにではなく,〈いかにして,カテゴリーの経験的直観に対する適用によって,空間的に位置づけられる・別個の個別者たちの形式的統一的直観――これに基づいて時空的対象についての経験的知識(そしてまた幾何学的知識)が存在しうる――が初めて形成されるか〉という問いに関わるのである。一方でいかにして無規定的対象(Gegenstände)が時空内に与えられるか,時空そのものが感性の形式としてそれらの特異な統一性と共に与えられるかということと,他方でいかにして悟性が時空の我々の直観を規定する――このことが制限された空間における別個の個別者たち(Objekte)を産出する――かということとの区別は,[Longuenesseに反して,]決してぼやけたものではない。私の主たるテーゼはこうである:

「第二段階」の中心的主張が関わるのは〈空間内の時空的に規定された・別個の個別者たちおよびそれらの知覚〉の可能性の分析にであって,〈いかにして時空自身それゆえ直観形式が(形而上学的に)可能であるか〉にではない。

7.4 形象的総合と,個別者を表象するアプリオリな可能性

§21, B144-5で示唆されたとみえるところに反して,§24での問題は,いかにして対象ないし個別者が初めて受容性において与えられるかではない。むしろカントが検討したいのは,対象が感性において,我々によって,空間的に別個の個別者たちないし個別的諸対象として構成される仕方である。

[統覚の働きである超越論的総合は,所与としての無規定的空間を一つの規定的空間へと規定する。この働きを介して,無規定的空間の統一と統覚の統一とは符合している。演繹論の目的は,カテゴリーがこの符合を導くということを示すことにある]

時空的対象は,それらが必然的に知覚されるより大きな空間から,空間自身を,そのより小さな諸区分へと限界づけることによって,区別ないし限界づけられる。

「第二段階」の目標は,いかにして統覚の総合的統一が,構想力の超越論的総合によって,空間内に与えられたものとしての諸表象の多様を対象――これは,総合の働きによる規定のゆえに,それ自身〈それが含まれているより大きな空間〉内の「規定的空間」である――として規定するかを示すこと,これである。 第一段階と第二段階の区別はそれゆえ,意識の統一を対象一般として定義するか,感性的多様における構想力の総合の統一を,空間内の「一つの規定的空間」としての対象として定義するかという点にある。〈構想力の総合の統一が空間の統一を規定し,それゆえ空間的に制限された対象を定義するということ〉を示すことによって,超越論的総合が統覚の働きであるという仮定のもとで,〈空間の部分が一つの規定的空間,「或るもの」すなわち対象として限界づけられる限り,空間の統一が統覚の統一に対応する〉ということが示されるのである。

「第二段階」の目標は,次のことを指摘することである。すなわち,カテゴリー(とりわけ量と質のカテゴリー)が〈経験的直観を概念のもとに包摂する機能〉である在り方は,〈いかにして空間(および時間)の統一が,悟性によって感性的多様に賦与される統一――質的統一(B131)――と符合するかを指示すること〉と関係をもつこと,これである。この符合が示されるのは,経験的直観における諸表象の多様の継起的総合〔超越論的総合?〕が,「全体」としての諸表象の総合的統一(無限の与えられた多様としての空間の領域内での)――これが空間的諸対象の規定を初めて可能にする――を産出ないし構成するために必要とされるということ,これを示すことによってである*1

*1:p. 311. ひたすら悪文。