Dear Prudence

哲学専修B4 間違いがあればご指摘いただけると幸いです。

アメリクス「同一性」『カントの心の理論』第4章(1)

  • Ameriks, Karl. Kant’s Theory of Mind: An Analysis of the Paralogisms of Pure Reason, Oxford: Clarendon Press (2000), 128-131.

第4章 同一性

本章の前半部(A)では、第三誤謬推理におけるカントの立場は、通常考えられるよりも懐疑主義的であると論じる。筆者は、過度に合理主義的な解釈(例えばヘンリッヒ)および過度に経験主義的な解釈(例えばストローソン、ベネット)――これらの解釈によればカントは我々の自己同一性を確信していることになる――を退ける。

後半部(B)では、カントの議論の価値を、パーフィット、ペリー、シューメイカーらの極端な立場に対して擁護する。もっとも、カントの立場は時間に関する問題含みの見解と結びついているために完全に受け入れられるわけではない。

A1. 人格性:歴史的概観

[人格性の意味の変遷。自然主義と両立可能な叡知者としての人格から、実践/理論哲学への分岐。後者で時間性が導入された]

「人格性」に関して『批判』以前のカントは極めて異なった術語法を用いており、「人が人格であるかどうか」という問いと「人が叡知者であるかどうか」という問題とを等置する傾向にある。後者は、ただ人が一定の複雑な能力を有するかどうかということにかかわる。

最初期のカントは、こうした能力は自然主義的に解されうると考えた。自発性が人格の特徴的性格とされ、これは汎通的に規定的な世界と両立可能とされた(AA1, 402)。後にもしばしばカントは人格性を自発性に結びつけたが、最終的に彼は、本来自発性は絶対的でヌーメノン的な倫理的自由――これは実践的にのみ確立可能である――を指示するとした。他方理論的文脈にあって彼は、人格をたんに合理的存在者としてではなく記憶などによって特徴づけはじめた。

[時間性導入の理由。問題の発生と標的]

時間的性格を人格性の定義に導入することになった主要な理由は、人間の関心を公平に扱うことにあったと思われる。人間の関心は、魂のたんなる持続のみならず、思考の一定の連続性に向けられる(AA2, 338)。〔前者の積極的主張を拒否し、後者のそれの可能性を認めることになる。〕

カントはペーリッツ講義の時期ですら、再集された所与が自動的に知識を伝え、人格同一性を保証すると考えていた。人格同一性が問題になったのは、批判期に内官と統覚が区別され、内官が与件のたんなるコンベアーにすぎなくなり、それのみでは自己知のいかなる主張も正当化できなくなったためである。この場合誘惑的な代案は、たんなる統覚に基づいてアプリオリに人格同一性を主張するというものである。そしてこの代案こそが第三誤謬推理の標的である。

2. 第三誤謬推理

〔訳注をもって代える。〕