Dear Prudence

哲学専修B4 間違いがあればご指摘いただけると幸いです。

アリソン「純粋理性のアンチノミー」(2)「純粋理性の理想」(1)『カントの超越論的観念論: 解釈と擁護』第13, 14章

  • Allison, Henry E. Kant's transcendental idealism: an interpretation and defense, New Haven, CT: Yale University Press (2004), 394-405.

172-282, 285-306, 317-332, 368-394を飛ばしている。

この章〔第13章〕の要点をまとめておこう。(1)アンチノミーが生じるのは P2のみからでもなく〔これだけでは諸条件の総体の所与性が論理的所与性にとどまりうる。〕超越論的実在論のみからでもない〔これだけでは諸現象の世界理念の問いが生じないこともありうる〕。

(2)[超越論的実在論はP2と結ぶと諸条件の総体の所与性を実在的所与性とみなすという意味で、]超越論的実在論が、P2を客観的妥当性をもつ原則とみなすべくいわばプログラムされているからである*1

さて、(3)超越論的実在論も(4)超越論的観念論も形而上学的教説ではなくむしろ形而上学的観点――神/人間中心の観点――とみなされるべきなので、

(5)超越論的観念論の間接証明とは、宇宙論的な未解決問題に対処するためには超越論的観念論という観点を取らねばならないという論証に他ならない。

第14章 純粋理性の理想

1 汎通的規定と最高完全者

カントは汎通的規定の原則から最高完全者へと遡る議論をしている。

(1)汎通的規定から可能性の総括へ

〈物には、あらゆる矛盾する可能的述語のペアの一方が帰属しなければならない〉という汎通的規定の原則は、「あらゆる可能性の質料」(A572-73/B600-01)という超越論的前提を有している。換言すれば、個別者individualを網羅的に定義するプロジェクトに従事する条件として、悟性は必然的に可能的述語の総括を前提する。

(2)可能性の総括から実在性の全体(omnitudo realitatis)へ

カントは物の実在性ということで、その実在ではなくむしろ何性(quidditas, essentia)あるいは事象性(Sachheit)を定義する肯定的性状を解している。その総体が実在性の全体にほかならない。

[汎通的規定と選言的理性推論とのアナロジー]

ここで標記のアナロジーを見ることができる。まず、両者は単に類比的であるにすぎない、というアナロジーの消極的な面を見ておこう。当の理由は、汎通的規定において働く実在性の総括〔後述のFとG〕という概念が、概念よりむしろ直観の構造をもっている点にある。つまり、特殊的実在性が、実在性の総括のもとに包摂されるものとしてではなく、それに含まれているものとして思考されるという点にある(Vgl. A577/B605)*2

次に、両者にはアナロジーが存在する、というアナロジーの積極的な面を見ておこう。Aという規定されるべき個別者の汎通的規定のプロセスを考えよう。大前提は、Aは FあるいはGであると述べる(FとG は合わせて実在性の総括を表す)。小前提は、AはGではないと述べ、結論はAはFであると述べる。かくして両者は類比的である(Vgl. A576-77/B604-05)。

(3)実在性の全体から最高完全者へ

この移行は実在性の全体という概念の全包括性に立脚している。存在論的空間(ウッド)の全体を占めるものとして、実在性の全体は必然的にそれ自身汎通的に規定されているものとして思考される。すなわち個別者を定義しているものとみなされねばならない。ここで理念と理想の区別が関わってくる。

[理念と理想の区別]

理念は、いくらか概念に似て、ある種の物ないし質を指示するが、その完全性において思考されている。例えば完全な人間性という理念のように。対して理想は、いくらか直観に似て、個別者*3を指示するが、純粋に合理的な述語によって構成されている〔最高完全者〕。

しかし実在的述語は相互に対立する(Vgl. A272-73/B328-29)ので、実在性の総括そして最高完全者とは矛盾した概念ではないかと思われるかもしれない。カントはこれに対して、最高完全者は実在性の総括ではなく、むしろあらゆる実在性の根拠とみなされる、として、そうした存在者の思考可能性を維持している(A579/B607)*4

*1:ただし、論理的所与性と実在的所与性を区別できる超越論的実在論ないということは未証明と思われる。

*2:概念はそのもとに直観を包摂する。直観には多様が含まれている。後者が実在性の総括と特殊的実在性との関係に類比的だということか。

*3:直観は今・ここに現前している特権的な所与(個別者)を指示する。対して理想の指示する個別者を、例えば固有名の指示対象と解するべきではない(概念は固有名でありうるため)。ここでアリソンが何を意図しているのか分からない。

*4:ここでの根拠とは何かわからず、それゆえに実在性の全体と最高完全者との関係がわからず。