Dear Prudence

哲学専修B4 間違いがあればご指摘いただけると幸いです。

アリソン「人間の認識の感性的条件」(3)『カントの超越論的観念論: 解釈と擁護』第5章

  • Allison, Kant's transcendental idealism: an interpretation and defense (pp. 112-116).

C 空間の所与性(直観の形式と形式的直観) 

[空間の所与性は分析論と調和する] 

空間の所与性という理説は、一見して、少なくとも二点で分析論と調和しないように思われる。第一に、「直観の公理」でカントは、空間は継起的総合によってのみ表象されうると主張している。――いやしかし、ここでカントが関心しているのは、規定された諸空間の表象〔≠純粋直観〕および、この表象とそのうちの諸対象の直観との結合についてである。したがって継起的総合は、規定されるべき全包括的な唯一的な空間〔純粋直観〕が与えられていることを前提するのであって、ここに衝突はない。 

第二に、時空が直観の対象としては与えられえない(A291/)のであれば、いかなる意味でそれらは与えられうるのだろうか? ――空間的経験一般のアプリオリな構造としてである。この前概念的なパターンないし秩序(「純粋な多様」)が、概念化の活動を導きまた制約するのである。[別言すれば、次に述べるように、直観されるものの形式としてである。] 

[純粋直観の三つの意味。直観する形式、直観されるものの形式=唯一的な全包括的時空、そして形式的直観(e.g. 幾何学的性質)] 

では、「根源的な」「与えられた」「無際限の」時空と、その規定された諸表象との結びつきはいかなるものか? 時空はアプリオリな直観の形式であるのみならずそれ自身アプリオリな直観でもあるという主張を解明するべく、カントはこう述べている。 

対象として表象される空間(実際に人が幾何学において必要とするような)は、直観のたんなる形式以上のものを、すなわち、感性の形式にしたがって与えられた多様なものを一つの直観的表象において総括することを含んでおり、だから直観の形式はたんに多様なものを与えるにすぎないが、形式的直観は表象の統一を与える。この統一を私は感性論においてはたんに感性のうちに数え入れたが、それは、この統一がすべての概念に先行するということを注意したいがためにすぎなかった,とはいえob zwarこの統一は、感官に所属しはしないが、空間および時間についてのすべての概念がそれによってはじめて可能となる一つの総合を前提してはいるのである。なぜなら、この総合をつうじて(悟性が感性を規定することによって)空間ないし時間は直観としてはじめて与えられるがために、このアプリオリな直観の統一は空間と時間とに属し、悟性の概念には属さないからである(§24)。(B160-61、脚注) 

さしあたって、純粋直観を(a)「直観の形式」と(b)「形式的直観」とに区別する点をみておこう。この対比は、規定(概念化)されていない直観と規定(概念化)された直観との区別を反映している。前章で我々は「直観」の三つの意味を区別したが、それに合わせてここで「直観の形式」の二つの意味を区別せねばならない。(a)直観の形式は、(a1)直観する形式ないし様式(時空)と、(a2)直観されるものの形式(本質的秩序ないしパターン)とのいずれをも意味する。そのうちに諸空間の多様を含む唯一的で全包括的な空間、つまり(a2)直観されるものの形式こそが、感性論の主たる焦点であり、(a1)直観する能力でも(b)形式的直観でもない。 

(b)形式的直観とは、直観されるものとしての諸対象の一定の「形式的」――普遍的かつ必然的な――特徴という、規定された直観的表象を意味する。規定されたものとして、形式的直観は、(a2)直観されるものの形式と、それによってこの形式が一定の仕方で規定される概念とを要求する。〔例えば「三角形の二辺の和は他の一辺よりも長い」という形式的直観は、唯一的で全包括的な空間と、「三角形」等の概念とを要求する。〕