Dear Prudence

哲学専修B4 間違いがあればご指摘いただけると幸いです。

アリソン「人間の認識の感性的条件」(2)『カントの超越論的観念論: 解釈と擁護』第5章

  • Allison, Kant's transcendental idealism: an interpretation and defense (pp. 108-112).

B 直観テーゼ

直観テーゼについても、カントは一つのテーゼを支持する二つの論証を提供している。第二版のそれらを扱いたい。

直観性の第一論証

3.空間は、諸物一般の諸関係についてのいかなる論弁的概念、ないしはよく言われるように一般的概念ではなく、一つの純粋直観である。なぜなら第一に、人は唯一の空間を表象しうるにすぎず、多くの諸空間について語るときには、それらを同一の唯一の空間の諸部分と解するにすぎないからである。これらの部分もまた、すべてを包括するallbefassen唯一の空間に、そのいわば諸構成要素Bestandteil(それから合成が可能であるような)として先行するのではなく、このすべてを包括する唯一の空間の内でのみ思考されるにすぎない。空間は本質的に唯一であり、空間における多様、したがって諸空間一般についての一般的概念もまた、もっぱら[この唯一の空間の]制限にもとづいている。このことから生ずるのは、空間に関しては一つのアプリオリな直観(経験的ではない直観)が空間についてのすべての概念の根底にあるということである。そこで、すべての幾何学的原則も、例えば、三角形においては二辺の和は第三の辺よりも大きいという原則も、けっして線と三角形についての一般的概念から導出されるableitenのではなく、直観から、しかもアプリオリに確然的な確実性をもって導出されるのである。(/B39)

概念-直観の区別が網羅的であるexhaustivenessという前提の下で、「空間についての根源的表象」(B40)は概念でありえず、それゆえ直観であると論じられる。アプリオリ性の論証でこの表象が純粋であると論定されたので、ここからこれは純粋直観であると結論され、つづいてこの帰結の幾何学への含意が説明される。

証明は二段階から成っている。カントは空間と特定の諸空間との関係を、第一に概念とその外延との関係と対比し、第二に概念とその内包との関係と対比する*1

第一段階は空間の唯一性に立脚している。これは偶然的事柄(諸空間のクラスがたまたま一つのメンバーしかもたないというような)でも、論理必然的な真理(「最高完全者」のような)でもないが、カントはこれを支持するために観察にもとづく意見observationしか提供していない。我々はどういうわけか諸空間を唯一の空間の部分としてしか考えられない、と。

また、ある表象の唯一性からその直観性は帰結しない(vgl. 「世界」概念)。それゆえカントは空間表象が直観的であることを証明するために、それがいかに概念と異なるかを示さねばならない。これは第二段階でなされている。すなわち、概念とその諸内包の場合、それから一般的概念が構成される諸内包(徴表ないし部分的概念)は一般的概念に対して論理的に先立っている〔全体が部分を要する。部分なしに全体なし〕。他方、空間とその諸部分の場合、空間部分はそれらの前提する唯一の空間のうちにそしてそれを通じてのみ与えられる〔部分が全体を要する。全体なしに部分なし〕。

直観性の第二論証

4.空間は無限の与えられた大きさとして表象される。ところで、人はなるほどそれぞれの概念を、無数の様々の可能的な諸表象のうちに(それらの共通的徴表として)含まれている、したがってこれらの表象をおのれ自身のもとに含む一つの表象として思考するに違いない。しかしいかなる概念も、一つの概念としては、あたかも無数の諸表象をおのれ自身のうちに含むかのように思考されることはできない。ところが、それにもかかわらず、空間はそのように思考されるのである(なぜなら、無限に分割された空間のすべての諸部分は同時に存在するからである)。それゆえ空間についての根源的な表象はアプリオリ直観であって、概念ではない。(B39-40)

ここでは、空間が無限の与えられた大きさとして表象されるという前提からこの表象が直観であるという結論が導かれている。無限性への言及と所与性の強調とが先の論証からこちらを差異化している。所与性は次項にまわし、ここでは無限性を扱いたい。

概念と直観は異なった意味で無限を含む。一方、概念は外延的に無限を含む。つまり無限の概念がそのもとに包摂されることがありうる。しかし仮に無限に豊かな内包をもつとすればそれは論弁的性格〔抽象性〕に反するから、内包的には無限を含まない。他方、直観は無限の部分をそのうちに含むという仕方で無限を含む。

注意。これは、空間が無数の部分からなる複合体であるということを意味しない(第一アンチノミー)。第一版のヴァージョンにあるように、「直観の進行において無際限」であることを意味する。つまり、或るものがいかに空間の大きな区画regionを占めても、それは常により大きな唯一の空間の制限として表象されるということである。

*1:分からず。Vaihinger, Commentar, vol. 2, p. 205.が参照指示されている。